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町制施行70周年記念「天正遣欧少年使節」映像プロジェクト

最終更新日:
(ID:2231)

天正遣欧少年使節の足跡をたどる

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天正10(1582)年、当時13歳ほどの少年が、天正遣欧少年使節の一員として長崎からヨーロッパへ出帆しました。

少年の名は「原マルチノ」。

彼は、他の3少年と共に、ポルトガル、スペイン、イタリアを巡り8年半の歳月を経て帰国しました。

ボローニャ元老院日記という書物には、マルチノが波佐見で生まれたことが記されています。

本町では、町制施行70周年記念事業として、原マルチノを中心に天正遣欧少年使節の足跡をたどる映像作品を

制作することで波佐見町が生んだ偉人の功績を後世に伝えるとともに郷土愛の醸成を図ります。


寄付の流れ・申し込み

1.寄付申込書 様式第1号(ワード:15.2キロバイト) 別ウインドウで開きますをご提出ください。

2. 寄附金の納付をお願いいたします。※町から納付書を郵送いたします。

3. 町から「受領証」を交付いたします。

4. 税の申告時に企業版ふるさと納税(地方創生応援税制)の適用がある寄附を行った旨を申告し、町から交付を受けた「受領書」を提出して、税額控除の適用を受けてください。

原マルチノについて

天正10(15822)年2月に九州のキリシタン大名、大友宗麟・大村純忠・有馬晴信の名代として、ヴァリニャーノ神父に連れられ、4名の少年が長崎からローマへ派遣されました。伊東マンショ(宮崎県西都市出身)、千々石ミゲル(長崎県雲仙市出身)、中浦ジュリアン(長崎県西海市出身)、そして、波佐見出身の原マルチノです。
原マルチノは、長崎を出発する際は12~13歳で、現在で言えば小学校6年生か中学1年生の少年でした。マカオ、インド、アフリカ南端の喜望峰をめぐり、ポルトガルのリスボンに着く船旅が2年半。その後、スペイン・イタリア各地で大歓迎を受け、バチカン宮殿ではローマ法グレゴリウス 13世に涙の謁見を遂げ使命を果たしました。さらにボローニア、ベネチア、ミラノと北イタリアを旅し1年8か月滞在したあと、長崎へ無事帰港をした時には、出発からすでに8年半の歳月が流れていました。帰港後、京に上って秀吉に面会を許されましたが、禁数は解けませんでした。
マルチノは長崎を中心に布教に努めましたが、ついに慶長19(1614)年マカオに追放され、寛永6(1629)年、異郷の地で60歳の生涯をとげました。遺骨は、マカオのサン・パウロ教会地下に安置されています。
マルチノはとくに語学に優れ、インドのゴアでは使節を代表してラテン語で演説を行っています。彼等が持ち帰った印刷術は、後の世に大な影響を与えました。
(令和3年発刊 はさみ150選ガイドブックから転載)

  • 3

    「ボローニャ元老院日記」
    原マルチノに関する記述が見られる

  • 1

    天正遣欧少年使節とヴァリニャーノ
    左下の人物が原マルチノ


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