波佐見焼の歴史

黎明期

平成5年に行われた下稗木場窯跡(しもひえこばかまあと-全長約22m部屋数約12室発掘調査の結果、この窯が唐津焼の影響を受け1600年前後から生産が始まった波佐見最古の登窯であることが判明しました。波佐見焼の黎明期と位置づけられたこの窯では碗や皿、つぼや甕など陶器のみが生産されていました。

その後、文禄・慶長の役の折に連れ帰った朝鮮人陶工たちが関わったとされる村木の畑ノ原(はたのはる)、古皿屋(ふるさらや)、山似田(やまにた)の窯で、1610~1620年代頃、陶器生産に加えて波佐見で初めての磁器生産に成功しました。陶工たちはその後、本格的に磁器の生産を始めるべく地元で原料となる陶石を探し出した波佐見川上流部へと移動していったと思われます。

畑ノ原窯跡

平成5年整備工事が完了し、前方4室が復元された畑ノ原窯跡(国史跡)

畑ノ原窯跡の出土品

畑ノ原窯跡より出土した波佐見最古の染付磁器片

青磁の時代

磁器の原料となる陶石が三股(みつのまた)で発見されたことから、1630年代より波佐見三股で本格的な磁器窯が築かれ、とくに青磁の生産が活発化し、陶器生産はほぼ停止します。青磁は片切彫で陰刻を施した草花文の皿や鉢が中心で、中には白磁の梅などを青磁の皿に貼り付けて飾った器など高度な技法が駆使され、製品は主に国内の富裕層向けのものでした。
その後、17世紀中頃になると東南アジア貿易を支配していた中国が内乱の影響で、陶磁器の輸出ができなくなり、日本の製品に注目が集まるようになります。そのため波佐見では海外(主に東南アジア方面)向けの製品を大量に生産するため、登窯が相次いで築かれ、1666(寛文6)年には皿山役所(大村藩による陶業の保護と育成)が設置されました。

青磁皿

植物(芭蕉)と雲の図柄が陰刻され白磁の梅花が貼り付けられた波佐見青磁の皿(青磁陰刻貼花梅樹雲気芭蕉文皿)

染付雲龍紋鉢

海外向けに生産されたもの。染付雲龍見込み荒磯文鉢

くらわんかの時代

1680年代頃、中国の内乱が終息し、中国磁器の輸出が再開されると、波佐見をはじめとした日本の陶磁器は海外の売り先を失い、新たな生産を始めるようになります。この器こそ、それまでの木製や割れやすい陶器ではなく、白い地肌に色々な絵柄が描かれた丈夫な磁器製の日用食器でした。世界にも類を見ない巨大な登り窯で焼かれた波佐見の安くて使いやすい器はベストセラーとなり、江戸庶民の食文化に大きな変革をもたらしました。特に大量消費地である大坂で「くらわんか碗」と呼ばれたことからこの名が一般的になりましたが、当時の波佐見の人々は果たしてそのことを知っていたでしょうか?
「コンプラ瓶」も波佐見を代表する器の一つです。海外に醤油や酒を入れて輸出するための容器である「コンプラ瓶」(コンプラドールが語源で長崎出島の仲買人が仲介した)は江戸末期から大正時代まで波佐見で生産されていました。

くらわんか碗

庶民向けの器として大量生産されたくらわんか碗(染付雪輪草花文碗)

コンプラ瓶

醤油や酒を海外に輸出するために19世紀前半から波佐見で生産されたコンプラ瓶

近代の波佐見焼~成長への道

1.明治・大正時代

1870(明治3)年、皿山役所が閉鎖され、大村藩からの支援がなくなると、巨大な登窯は生産を停止したり分割され、小規模な個人経営へと変わりました。この存亡の危機の中、型紙刷り(カッパ刷り)や銅版転写など新たな技術導入や窯業振興により、窯の火は絶えることなく活気を取り戻していきました。この時代、波佐見焼を支えていたのは豊富な陶石を活かした牡丹絵柄の「徳利」の生産で、明治中頃の最盛期には年間35万本もが全国に出荷されました。基本となる成形は江戸期と変わらず、蹴ロクロによる細工でしたが、大正末期になると「鋳込み」や「石膏型」「機械ロクロ」など新しい成形技法も導入され、量産体制が整えられます。このように明治から大正にかけて波佐見焼は近代的窯業へと生まれ変わっていくのです。

2.昭和時代

昭和に入ると、石炭窯が登場し、さらに新たな技術や生産体制が整備され、拠点となる陶磁器工業組合も設立されます。このころは洋食器や酒樽などが盛んに生産されました。しかし、その後の世界大戦の中、波佐見の窯業も苦難の時代を迎えました。戦争が終わり平和な時代が到来し、日本経済が成長を加速する中、日用食器の需要は高まり再び波佐見の窯業は飛躍的な発展をとげていきます。窯の燃料もやがて重油からガスへと変わっていきました。

波佐見焼は、いつの時代も人々の生活様式の変化や流行、時代の雰囲気などに合わせて自在にデザインを変化させ、人々の求める日用食器を常に生産してきました。1978(昭和53)年、波佐見焼は江戸時代以来の伝統を保護する一大産地として通産省によって「伝統的工芸品」の指定を受けました。

染付若竹紋飯碗

戦後の大ヒット商品のひとつ、染付若竹文蓋付碗

波佐見焼の今と未来

デザインの移り変わりはありましたが、波佐見焼はカジュアルな普段使いの器として全国の家庭で愛用されています。最近では、使い心地が良く、形や色、質感など自由さがあふれ、機能的でおしゃれな器たちが次々と生まれていて、それらは幅広い世代に共感と大きな人気を得ています。使い方もいろいろで、例えば同じカップでも、普段はお茶やコーヒーを、時にはデザートやサラダを盛りつけたり、スープなど多様な使い方を気軽に楽しむことができます。

 

 

多種多様な波佐見焼の製品

多様なデザインで人々の暮らしを彩る現代の波佐見焼